ありし昔の物語

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help リーダーに追加 RSS 高野山”奥の院”

<<   作成日時 : 2007/12/15 22:11   >>

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高野山”奥の院”


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高野山奥の院詳細



奥の院の入り口の一の橋から弘法大師の御廟まで2キロ、この間の参道両側に、老杉を交えて、苔むした五輪碑が立ち並ぶ景観は全国でも珍しく、高野山独自のものと言える。

この参道の墓群について少々駄文を連ねてガイドの役割を果たしたい。ここに墓標が建て創められたのは、鎌倉時代かと推測されるが、その当時のものは形も小にして、その数も少ない。もっとも盛んに健碑の行われたのは江戸時代であり墓碑の形態も大きく立派なものになったこれは徳川幕府の平和政索に基づくもので、徳川家においても高野山に家康の霊廟を建て、祖先崇拝の風習を強く押し奨めたため、全国各地の大名は競ってここに墓城を構え、次々と健碑が進められたのである。また一説には徳川の政索として全国の大名に兵馬の養う財力を、こうした方面に消費せしめたとも言われているが、とにもかくにも交通は不備にして機械力がない当時の高野山において、石材の総てを瀬戸内海辺りの産地から運ばせたもので、一基の健碑と言えども容易の業でなかったと思われる。これは徳川の平和政策の所産とも言えるが、また一面大師の膝元へという願いが秘められていたに違いない。その後、一般市民のこれに習い宗旨の別れなく、続々と健碑が行われ、今日の大墓群を成したものである。ここに群がる墓石の数は大小合わせて10万基とも言われ、その大半は徳川期又はそれ以降の健碑と見られるが、それ以前の古いもので、由緒あり年代の詳名ものは史跡にも指定されている。
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